地球人に向けて
このブログは、オリオン星人であるピピンの視点から 地球人へのメッセージをお伝えします。

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自己嫌悪の思い

通りすがりの地球人
あのう。
自己嫌悪の思いについて聞きたいんですが、いいですか?
 
ピピン
なんじゃ!!
唐突に!?
また、自分に嫌気がさして来よったのか?
 
通りすがりの地球人
いやぁ。
そういう意味ではないんですが、どうして自己嫌悪の思いになってしまうんだろうって疑問になりまして。
 
ピピン
なるほどのう。
よう自己嫌悪に陥(おちい)っておったようじゃからのう。
 
自己嫌悪かぁ。
お主、自己嫌悪に陥っておるとき、何を考えておった?
 
通りすがりの地球人
何をって、自分が嫌だって思っていました。
 
ピピン
うむ。
それが自己嫌悪なんじゃが、そんなことは聞いておらん(笑)
具体的に何かのきっかけがあって、自己嫌悪に陥っておったわけじゃろう。
それを聞いておるんじゃ。
 
通りすがりの地球人
きっかけですか。
やっぱり、こうっていう理想があるわけなんですが、自分がその理想と掛け離れていると感じたときですかねぇ。
理想と現実っていう奴ですよ。
 
ピピン
ふむふむ。
大体はそうじゃろうのう。
では、何故その理想と現実が掛け離れておると自分が嫌になるんじゃ?
 
通りすがりの地球人
一言で言うとショックです。
 
ピピン
うむ。
同じ答えのようじゃわい。
なかなか進まんようじゃのう(笑)
 
では、わしから言うことにしようかのう。
何故、理想と現実のギャップによって落ち込んだり、自分が嫌になったり、ショックを受けたりするかというとじゃ。
それはじゃ。
プライドとかのう。
人の目を気にしているということが原因であったり、或いは、そのギャップを埋める努力をしたくないという気持ちがあるからじゃとわしは思うぞ。
 
通りすがりの地球人
確かにそうかもしれませんが・・・
そういわれると余計にショックです・・・
 
ピピン
お主が落ち込んでどうするんじゃ(笑)
まずのう。
確かに現実に目を向けることは大切なことじゃが、現実に捕らわれてはならんのじゃ。
目の前に現れておる現実というのは、過去の集積であってのう。
本当の自分自身の姿を現しておるわけではないんじゃ。
本当の自分自身の姿というのは、光輝いておるんじゃ。
それが本当の姿じゃ。
しかし、目の前の現実というものは、全然そうなっておらんということじゃろう。
それに捕らわれておるから、自己嫌悪ちゅうもんになっていくわけじゃ。
 
通りすがりの地球人
では、現実を気にするなっていうことですか?
現実を無視しろと?
 
ピピン
じゃから、さっき言ったようにじゃ。
現実に捕らわれないことも大切じゃし、足をすくわれんようにしっかりと現実に目を向けて生きることも大切なんじゃ。
どっちかに偏ってはならんということじゃ。
 
仏教では、もっと奥の深い意味でこれを説明して「真空妙有(しんくうみょうう)」とか「中道」とか言っておったようじゃが、わしはそんな小難しいことが嫌いじゃ。
 
まず、この世を否定しあの世が真実の世界じゃと知る、そして今度は、あの世のみを善しとして生活をすることを否定して現実にも目を向けていくという両極端を去った中なる道ということのようじゃが、これ以上詳しくは説明せんぞ(笑)
大要は同じことじゃろうからのう。
多くの者にとって、小難しい言葉でもってわざわざ説明せんでも、「人間の本当の姿は実に神々しく光り輝いておる。じゃから、現実に心捕らわれてはならいし、現実を無視してもならん」というた方が分りやすいじゃろうにのう。
 
ちと、話がずれてしもうたかのう(笑)
話を戻すとじゃ。
さっきも言ったが現実というのは過去の集積であってのう。
本当の自分の姿そのものではない。
しかし、過去の自分の心の状態が今の現実というものに反映されておる。
それは、本当の自分の姿を自覚して生きておらんかったというだけなんじゃ。
過去はもうどうしようもないじゃろうから、うだうだ言っておってもどうにもならん。
過去、自分が神の性質を自覚して現実に反映しておらんかったならば、これからそうすればよいというだけじゃ。
これからは、本当の自分の姿が大宇宙の神の一部であり光り輝いておるということにもっと心を向けて生きていくということがよいとわしは思うぞ。
さすれば、次第に現実というものが自然なかたちでその神の姿に近づいていくんじゃ。
そうなれば、もう自己嫌悪すること自体がなくなるじゃろう。
 
通りすがりの地球人
なんか自己嫌悪の原因の究明というより、いつも通りの話しになっているような気がするんですが・・・
 
ピピン
自己嫌悪の原因の究明のう。
そんな原因がどこにあるかなんて考えてる暇があったなら、もっと自己の本質に心を向けんかいっちゅうことじゃ(笑)
結局のう。
自己嫌悪ちゅうのは、自分が物質的な肉の塊だと自己認識しておるっちゅうことを示しておるだけであって、本当の自分の姿を知らんというだけなんじゃ。
本当の自分の姿を知らんということを迷いというたりのう。
罪というたりしておるんじゃ。
本当の自分の姿というものは、大宇宙の神の一部であってのう。
肉体とか霊体とかいう皮袋を被(かぶ)って光を押さえ込まねばならん程、強烈な光の塊なんじゃ。
それが真実なんじゃ。
そしたらじゃ。
それを嫌悪する必要がどこにあるというんじゃ?
嫌悪するべきもんなんかどこにもないということじゃ。
 
通りすがりの地球人
なんか迫力ある考え方ですねぇ。
 
ピピン
真実じゃからのう。
もうちと、違った視点でいうとじゃ。
 
人間をお金に例えると一万円札みたいなもんともいえるんじゃ。
実際にお金なんかに換算(かんさん)できるもんじゃないが、例えじゃからのう。
勘違(かんちが)いせんで聞いてくれよ。
例えば、目の前に一万円札があったとしてじゃ。
古びて手垢でのう。
もう真っ黒に汚れて、端なんかち切れたりしてぼろぼろになっている一万円札があるとしよう。
お主は、その一万円札が汚いからポイって捨てたりするか?
そんなことせんじゃろう。
これがあったら、美味しいものが食べれるとか温泉に行けるとか思って大事に財布にしまうじゃろう。
いくら汚れてぼろぼろであろうとも一万円は一万円という価値を失うことがない。
それと同じように人間というのもどれほど薄汚れたものに見えようとも、神の一部であるという価値そのものは決して失われることはない。
そしたらじゃ。
「このお札の汚れはどこで付いたんだろう?」とかじゃ。
「このお札の端はどうしてち切れてしまったんだろう?」とかじゃ。
考えても仕方ないのじゃないかと言っておるんじゃ。
そんなこと考えるなら、その一万円札で美味しい物でも食べてきたらどうじゃというておるんじゃ。
 
通りすがりの地球人
なるほど!!
そう言われると、なんか納得ができますねぇ。
悩むのがバカバカしく思えてきました。
 
ピピン
悩むのは悪いことではないが、どうせ悩むならばもっと積極的な方向で悩んでほしいもんじゃ(笑)
 
通りすがりの地球人
それはどういう意味ですか?
 
ピピン
まぁ、心境が進めば次第に分るじゃろうて。
 
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コメント

汚れても
1万円札は1万円札。
価値は変わらない。
 
分かりやすいです。
 
(*^-^)ニコ
【2007/10/05 14:34】 URL | 青空レモン #-[ 編集]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2009/03/26 10:06】 | #[ 編集]
このコメントは管理者の承認待ちです
【2012/06/18 01:01】 | #[ 編集]

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