地球人に向けて
このブログは、オリオン星人であるピピンの視点から 地球人へのメッセージをお伝えします。

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心の平安

ピピン
さぁ、今日は心の平安について話をしようかのう。
 
通りすがりの地球人
心の平安ですか?
 
ピピン
そうじゃ。
心の平安じゃ。
 
いつも、お主の心は平安かのう?
 
通りすがりの地球人
いつも平安かと聞かれますと、「はい」とは言えませんねぇ。
毎日の生活をしていると、やっぱり、どうしてもイライラしたり、落ち込んだりしていますからねぇ。
 
ピピン
そうじゃろうのう。
まぁ、そんなもんじゃて。
じゃがのう。
せめて夜寝る前くらいは、平安な心を取り戻すようにした方がええじゃろうのう。
平安な心で眠りにつきたいもんじゃとは思わんか?
安らかに眠れると思うがどうじゃ?
 
通りすがりの地球人
安らかな眠りと聞くとどうも死んでいくような気がしますが、安眠っていうのはしたいですよね(笑)
 
ピピン
まぁ、心の平安というのは、実はその安眠という効果があるだけではないんじゃ。
もっと大きな意味があるんじゃ。
 
通りすがりの地球人
へぇ~。
それはどういうことかということなんですか?
 
ピピン
例えばじゃのう。
心というのは、湖の湖面と比喩されることがあるが、通常、この心の湖面に月なんかが映っているわけじゃ。
しかし、生活する中でイライラしたり、落ち込んだり、取り越し苦労なんかで不安であったりするとじゃ。
心の湖面が、波立ってしまうわけじゃ。
その波の高さも、イライラや不安の度合いによって高かったり低かったりしておるわけじゃ。
つまり、心の湖面が揺れている時というのは、心が乱れているときじゃということじゃな。
そうすると本当は美しく映っておったはずの月の絵が波によってかき乱されることになるんじゃ。
しかし、心が平安になるとじゃ。
心の湖面は、すぅっと平らかになってのう。
それは見事な満月が湖面に映し出されるわけじゃ。
 
通りすがりの地球人
で、何が仰りたいのでしょうか?
 
ピピン
なにも綺麗な月がええじゃろうってことを言いたいわけじゃない。
実はのう。
この心の湖面に映っておるものがこの地上世界に姿を現しておるものなんじゃ。
実際に心の湖面に映っておるものは、この前から話してきた光り輝く人間の本質部分であってのう。
これが、地上に現われてくるんじゃ。
かというてじゃ。
映し出されたときに、肉体が金ぴかに光りだすってことではないんじゃぞ(笑)
映し出されたときにはのう。
健康となり、人間関係などが調和され、毎日が喜びとなり、自ら繁栄していくという形で持って現われてくるんじゃ。
これは心の平安の副産物というものじゃ。
しかし、心乱れておるとじゃ。
地上に映し出される映像が乱れてしまってのう。
病気になったり、対人関係で悩んだり、イライラしたり不安になったり、貧乏になっていったりするんじゃ。
じゃから、心の平安というのが大切なんじゃ。
 
通りすがりの地球人
へぇ~。
そういうふうになってるってことですか。
まぁ、それが事実かどうかについては、私では分かりませんが、心の平安っていうのは、確かにしみじみとしてなんか嬉しい気持ちがするもんですしね。
一言で言って、いいですよね。
温泉に浸かっているときなんかは、ゆったりしててリラックスできますしね。
 
ピピン
まぁ、そうじゃのう。
リラックスと似てはおるが、わしには、ちと違う気がするのう。
確かに心の平安の状態とリラックスは別のものではないんじゃぞ。
強いて言えば、そうじゃのう。
心の平安の中に、リラックスという一面があるというような感じかのう。
お主さっき、「しみじみとしてなんか嬉しい気持ちがする」といったじゃろう。
それは、平安というものなんじゃ。
心の平安があったからこそ、しみじみと嬉しい気持ちが内から湧いてきていたんじゃ。
 
通りすがりの地球人
へぇ~。
確かにそう言われると、平安っていうのと、温泉に入ったときのリラックスとはちょっと違うかもしれませんねぇ。
 
ピピン
まぁ、それはよいとしてじゃ。
次に大切になってくるのが、いかにして心を平安ならしめるかということじゃのう。
いくつか方法があると思うが簡単なものを一つ紹介しようかとおもうておるんじゃ。
それはのう。
目を閉じて、深く深く、ゆっくりと深呼吸をしてのう。
心のなかで満天の星空を見上げて、その中に煌々(こうこう)と光る満月をじぃっと見つめるていくんじゃ。
それを5分から10分すると、段々に波立っていた心が穏やかになっていくのを感じることじゃろう。
もし、そのイメージがなかなかできないっていうような時はのう。
実際に、目をあけてゆっくり深呼吸しながら、満天の星空を見上げて、月をゆっくりと見つめるとええじゃろう。
それも、5分、10分続けると心は穏やかになっていくじゃろう。
まぁ、騙されたと思うて何度かやってみるとよいじゃろう。
しみじみとした、じわぁ~っとした嬉しい気持ちになれたらひとまず成功じゃ。
 
通りすがりの地球人
そうですか。
では、何度かやってみることにしますね。
 




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本質を信じる

ピピン
このあいだから、人間の生命とはいかなるものであるかということについて、まぁ、ながながと話して来た訳じゃが、何故、そんな話をして来たか気づいたかのう?
 
通りすがりの地球人
ん?
なんか理由があったんですか?
 
ピピン
そうか。
気づいていなかったのか・・・。
それは残念じゃのう。
まぁ、しかし、お主らしくてええわい(笑)
 
通りすがりの地球人
それは、どういう意味なんですか!
 
ピピン
まぁまぁ、落ち着くんじゃ(笑)
 
通りすがりの地球人
バカにしてるでしょ!
 
ピピン
いや、そんなことはないぞ。
お主のその生命の本質は、光り輝いておるからのう。
本当に素晴らしいものじゃと思うておるぞ。
 
通りすがりの地球人
なんか誤魔化されているような気がしないでもないですが・・・。
でも、確かに仰るように人間の本質が光り輝いているということを色々と説明してもらいますと、なんか、段々そんな気がしてきますね。
 
ピピン
そうじゃろう。
お主は素直なところがあるからのう。
お主の言う通り、人間の本質が光り輝いておるように感じるということが重要なんじゃ。
自分の本質が素晴らしい光り輝いたものであるということを知って、段々嬉しくなってのう。
自信をもってくるというのは、良いことじゃよ。
 
通りすがりの地球人
自信ですか・・・。
自信って聞くと、どうも拒否反応が私にはありますねぇ。
なんか、横柄なというか、威張っているような気がして・・・。
なかなか、自分は自信を持っていいのかなぁって考えたりしてしまいます。
 
ピピン
お主の言っている「自信」は、「自慢の心」或いは「慢心」っていうやつじゃのう。
「自信過剰」というたりもするじゃろう。
確かに、「自信」という言葉をそのように使ったりすることもあるようじゃが、わしの言っているのは「自分を信じる」ということじゃ。
自分の本質を素晴らしい神の光であると信じることは、何も悪いことではない。
もし、それに問題があるとするならば、それは、自分のみが素晴らしくて他のものは素晴らしくないという気持ちになっておるときじゃよ。
そういう考えを持っておるとじゃ、他人を見下した気持ちになり、「自分は凄いじゃろう!」って威張ったりするもんじゃ。
わしが言ってきたのは「人間の本質は光り輝いている」ということであってのう。
お主の本質だけが光り輝いているということではないんじゃ。
他の人の本質も光り輝いておるということなんじゃよ。
じゃから、他の者達を軽んじて良いなんてことを、わしは言っておらん。
自分の本質が素晴らしいものだと信じ、そして、他の人の本質も素晴らしいものだと信じるということが大切じゃといっておるんじゃ。
それを信じることは、いけないことじゃとお主は思うのか?
 
通りすがりの地球人
いえ、別にいけないことだとは思いません。
 
ピピン
では、自分も他人も悪人だと思って生きておった方が人間は良い方向へ進めると思うのか?
 
通りすがりの地球人
いえ、そうは思いません。
 
ピピン
では、自分は悪人じゃけれでも、他の人の本質は素晴らしいと思って生きることが、お主自身が幸福になっていく道じゃと思うのか?
 
通りすがりの地球人
いえ、そうとも思いません。
そうか!
そういうことか!
 
ピピン
そうなんじゃよ(笑)
自分の本質も、他の人の本質も素晴らしいものだと信じることの中に未来に対する希望があるんじゃ。
確かに、現代という時代、「自分さえよければよい」という人が多いように見えるかもしれん。
しかしじゃ。
そういう人たちであったとしても、その本質は自分と同じ神の光であって、素晴らしいものであるということを信じていくことが素晴らしいことなんじゃ。
なにも、道徳的に素晴らしいことじゃから、素晴らしいと言ったんじゃないぞ。
先日も言ったが「ある」と強く思うものがあるように姿を見せてくるというのが法則なんじゃ。
じゃから、自分の本質も他人の本質も本当は神の光なんじゃと信じるということは、本質に神が「ある」、光が「ある」と思うということになって、次第にその姿を見せてくるものなんじゃ。
 
通りすがりの地球人
なるほど。
そういうことですか。

戦争と平和

通りすがりの地球人
ピピンさん、お久しぶりですね。
どこかに行っていたんですか?
 
ピピン
いや、盆休みと言うやつじゃよ(笑)
 
通りすがりの地球人
宇宙人でも盆休みってあるんですか?!
 
ピピン
いや、ない(笑)
わしが勝手につくっただけじゃ。
 
通りすがりの地球人
なんだ。
驚いて損しましたよ。
しかし、なんでまた盆休みを?
 
ピピン
地球人の習慣というのをちと取り入れてみようかと思うてのう。
まぁ、実際はおぬしの相手に疲れてきたんじゃが(笑)
 
通りすがりの地球人
ひどいですねぇ。
 
ピピン
まぁまぁ、冗談ではないか。
 
ところで、ここ何日かは日本の終戦記念日の前後とあってか、いろいろとテレビなんかで戦争ものをやっておったようじゃのう。
 
通りすがりの地球人
そうですね。
戦争って悲惨ですからねぇ。
ああいうのを見ていると、人が人を殺すなんて、私は嫌ですねぇ。
だから、「戦争反対!」ってデモしたくなりますねぇ。
 
ピピン
なるほどのう。
戦争反対運動ってやつじゃのう。
それは確かに悪いことではないがのう・・・・・。
 
通りすがりの地球人
ん?
ダメでしたか?
 
ピピン
いやぁ。
ダメとは言わんが、わしはあまり好まんのう。
 
通りすがりの地球人
どうしてですか?
 
ピピン
「戦争反対!」って言ってデモなんかするっちゅうのはのう。
その行為の中に、争いの念(おも)いが入っておる。
つまり、争いを止めさせるのに争いの心を起こすというのがわしが好まん理由じゃ。
 
通りすがりの地球人
じゃぁ。
戦争しても構わないって言うんですか?!
 
ピピン
おいおい、そうは言っておらんぞ。
お主はどうして、そう性急なんじゃろうのう(笑)
 
争いということ自体、わしは嫌いじゃよ。
しかし、争いをなくす為に争いというものに心を向けることでもって行動を起こすということが本末転倒しておるのではないかと言いたいんじゃ。
 
通りすがりの地球人
では、どうしろというんですか?
 
ピピン
何故に「戦争反対!」ってデモをするかを考えるとじゃ。
結局、平和を望んでおるということじゃのう。
じゃから、「戦争反対!」ってデモをするより、平和に心を向けるということをすべきじゃとわしは思うんじゃ。
 
通りすがりの地球人
すみません。
よく分からないんですが・・・・・?
 
ピピン
ちと、分かり難いかのう。
そうじゃのう。
平和というのは、大宇宙の神の本質なんじゃのう。
調和というてもよいじゃろう。
それは本当にあるものということなんじゃ。
目に見えず手で触れることが出来ないけれども、本当にあるものなんじゃ。
実在のエネルギーと言うてもよいし、調和のエネルギーというてもよい。
しかし、争いというものは、本当はないものなんじゃ。
以前に「悪とはなにか」ということで話したこともあるが、神は悪というものを創造してはおられないんじゃ。
自由意志と自由意志の相克に悪というものがあるかのように現われておるというだけなんじゃ。
これは我(が)と我(が)のぶつかり合いであり、お互いに調和しようとしない姿じゃということじゃ。
言い方を変えると、調和のエネルギーの不足ということじゃのう。
つまりのう。
調和のエネルギーが不足しておるから、争いというものがあるかのように現われてくるということなんじゃ。
じゃからこそ、調和というものに心を向けることによって、不足しておる調和のエネルギーを世界に供給しようとすることが肝要じゃと言いたいんじゃ。
 
通りすがりの地球人
あのう。
調和のエネルギーに心を向けるということだけで、不足している調和のエネルギーを供給できるもんなんですか?
 
ピピン
できるというのがわしの答えじゃ。
 
人間には創造する力というものが与えられておるということがその理由じゃ。
「ある」と強く思うものがあるように姿を見せてくるというのが法則なんじゃ。これは念の力というても良いし、信念の力というても良いじゃろう。
信念がこの世の中に姿形をもたらすという法則じゃな。
 
「戦争反対!」とデモなんかをするということは、「戦争がある」と思っておるから、デモなんかをする訳じゃろう。
ということは「戦争がある」という信念に基づいて行動をしておることになるんじゃ。
つまり、その信念でもって「戦争」を「ある」ものにかえる手助けをしているということなんじゃ。
逆にじゃ。
「世界は平和だ」という信念を持っていることによって、世界に平和が「ある」という状態にかえて行けるということじゃ。
じゃから、「戦争反対!」って思わずに「平和」に心を向ける。
不思議な世界に感じるかもしれんが、これがわし等の居る世界の法則なんじゃ。 
じゃから、神がお創りになられていない性質に心を向けるのではなく、神の創られた本当の性質に心を向けるということが大切じゃということじゃ。
 
通りすがりの地球人
なるほど。
よく理解ができました。
そうか。
だから平和に心を向けるということが大切なのかぁ。
分かりました。
心を平和に向けるようにします。
 

偉大な生命

ピピン
さて、人間の本質とはいかなるものであるかが分かったじゃろうか?
 
通りすがりの地球人
そうですねぇ。
人間の本質が光輝いているということですよね。
ということは私の本質も光輝いているということなんですよね。
 
ピピン
そうじゃよ。
実生活でどのような気持ちで生きておろうとも、その本質自体は何者にも変えることはできんようになっておるからのう。
ある意味、仕方ないことなんじゃよ(笑)
 
通りすがりの地球人
なるほど。
どうあがいても、私の本質は神の光でできているということなんですね。
 
ピピン
おお!!
よく分かってきたではないか。
そういうことじゃ。
どう頑張って苦しみをつくってみたり、自分を欺(あざむ)いてみたとて、自分の実相というものは決して汚(けが)すことはできんのじゃ。
いくら一時期、穢(けが)れてしまったように見えようとも、その本質部分は決してなくならんようになっておる。
そのいい例が、サタンといわれる者達じゃ。
あ奴らは現時点で見れば、真っ黒な存在じゃ。
善悪で見れば、悪以外の何者でもないじゃろう。
しかし、決して消滅することはない。
それは、その本質部分に神の光があるからなんじゃ。
永遠という時間でもって、見たならば、あ奴らとて本来の光り輝く姿に戻っていくということなんじゃ。
 
通りすがりの地球人
どんな悪魔であっても、内に宿った神の光に逆らうことはできないということなんですね。
 
ピピン
残念ながら、勝ち目がない相手じゃて(笑)
なんせのう。
神の光というものは、絶対に消えん。
もうしつこい位じゃ。(笑)
 
泉というものがあるが、あのようなもんじゃのう。
泉というのはチョロチョロと湧いておるから、一見すると弱々しくみえるのう。
しかしじゃ。
これを一度、止めようとするともう大変じゃ。
いくら蓋(ふた)をしても、違うところからまた湧いてきてどうやっても蓋をすることはできん。
もう、頭に来て蓋をしまくったとしても、絶対にどこからかもれて水が沸いて出てきてしまう。
それと同じように我らの中にある神の光、或いは神の生命というものは押し止めることはできんのじゃ。
かくも我ら神によって創られた生命は偉大なものじゃということなんじゃよ。
 

神体

ピピン
さて、今日は神体というものについて話すとしようかのう。
七次元の光神体を脱ぐと、この八次元以降での神体という存在形態なってくる。
神の体と書くんじゃが、まさしく「神の心を心として生きる」ということがこの世界の条件じゃ。
七次元での条件が、「神の一部としての自分」「神の手足としての自分」ということじゃたのが、「神の心を心として生きる」ということになっておってのう。
もう、神と呼ばれる領域におるということが分かるじゃろう。
確かに、六次元から神と呼ばれるものがおったりするが、この八次元になるともうその存在自体が神となっておる。
もうここまでくると、もはや人間としての姿形はしておらん。
手足や目や鼻や耳なってもんはなくなってくる。
もう、光そのものの姿となっておる。
光のエネルギー体そのものとなっておるんじゃ。
 
通りすがりの地球人
八次元の存在でも、地上に生まれたりするんですよね。
そしたら、そのときの姿形ってどうなるんですか?
 
ピピン
なくなって消えたりはせんよ。
普段、融通無碍な光エネルギーとしての存在をしておるんじゃが、七次元や地上のものたちを指導する際には、分かり易いように地上に生まれた時の個性というものでもって指導を行ったりするんじゃ。
その為の個性、あるいは姿形として現われることができるようになっておる。
通常は、融通無碍、光明遍照というたらええかのう。
そんな光に満たされた姿形なきエネルギー体として存在しておる状態なんじゃ。
まぁ、これが人間の本当の姿ということじゃ。
人間としての生命の実相ということじゃのう。
 
通りすがりの地球人
へぇ~。
そんな、自分を姿形のない光のエネルギーなんてなかなか思えませんねぇ。
 
ピピン
確かにそうかも分からん。
しかし、それが本当の姿であって、その目や鼻や耳や手や足や、こんなものは本当はないんじゃ。
うその存在というたら、語弊(ごへい)があるかもしれんがのう。
お主達は、人間とは目や鼻や口や耳があって、手や足があるのが当たり前じゃと思うておるじゃろうが、人間があると思うておるから、あるよう現われておるだけであってのう。
実際は、そんなものがないのが本当であって、神の子の生命としての本当の姿なんじゃよ。
 
通りすがりの地球人
なんか、頭がおかしくなりそうですねぇ。
 
ピピン
まぁ、そうかもしれんのう。
なかなか、自覚はできんかもしれん。
しかしじゃ。
それがお主の本質であって、それこそが神の子であるという証拠なんじゃ。
 
通りすがりの地球人
う~む。
なるほど。
分かったような・・・・・。
分からないような・・・・・。
 
ピピン
まぁ、そうじゃのう。
お主にとって重要なのは自覚ということかのう。
 
通りすがりの地球人
自覚ですか?
 
ピピン
そうじゃ。
自覚じゃ。
自分がそのような光輝いた無限の光のエネルギーであるということ。
それが自分なのだと自覚することが大切なんじゃ。
目、鼻なんかがないということを自覚せよということではない。
自分が神の生命そのもの、光そのものであるという事実を自覚するということが大切なんじゃ。
それが、神の子としての自分の本性を自らの内より引き出すこととなるんじゃ。
それが大切なんじゃ。
 
通りすがりの地球人
なるほど。
では、この八次元存在の自己認識っていうのは、自分が光輝いた光の存在であって、神の子なんだということを自覚しているということなんですね。
 
ピピン
そういうことじゃ。
自らが神の子であると心底から自覚しているからこそ、神の心を心として生きることができるんじゃのう。 

そしてじゃ。
そのあり方について、大きな視点から見るとじゃ。
身体にたとえると、七次元の存在が、身体に張り巡らされた毛細血管だとすると、八次元の存在は、動脈の働きを行っておる。
光のエネルギーを全身に行き渡るように、力強く脈打っておるのがこの八次元の存在じゃ。
そして、九次元にまでくると、これはもう心臓のようなものじゃ。
動脈に、全身に行き渡るように力強く神の光を流していく心臓、そのような役割が九次元の存在となっておるんじゃのう。
 
まぁ、何よりもじゃ。
肉体、幽体、霊体、光子体、光神体、神体という存在形態について説明してきたのは、無限の光エネルギーが自分の本質であるということをよく知ってもらいたいという願いからじゃ。
じゃから、よくよく、自らの生命の実相というものを知って、力強く生きてもらいたいもんじゃ。
 
通りすがりの地球人
分かりました。
もっと自覚を深めていくように努力してみます。
 

テーマ:日記 - ジャンル:日記

光神体

ピピン
さて、今日は光神体について、話すとしようかのう。
光の神の体と書くんじゃが、もうここまでくるとほとんど本来の姿に戻ってきておる。
体の内側から眩しい程に光が出ており、全身光輝いておってのう。
もう、神の一部としての状態となっておるんじゃ。
そうじゃのう。
眩しすぎて、よく目を凝らさないとその姿が見えないところまで来ておるのう。
六次元では、天使と人間の狭間におるようなもんなんじゃが、この七次元では、もう全ての者が天使となっておる。
それが、この光神体の姿じゃ。
 
さて、どのような生活をしておるかというと、さっき、神の一部と言ったんじゃが、その存在自体が神の一部、神の手足として生きておるのう。
神の自己実現というたらええじゃろうか。
自己実現というと自分というものの思いを実現していくという意味なんじゃろうが、ある意味、自分という意識がない。
記憶喪失とか錯乱状態にあるっていうことではないぞ(笑)
自我というものがないということじゃ。
いわゆる、無我というやつじゃ。
仏教には無我という言葉があるんじゃが、それはこの七次元以降の自己意識のことをそう呼んでおったんじゃ。
自我がないとはどういうことかというとじゃのう。
まぁ、同じことなんじゃが、「自分というものは、神の一部であって、神の手足である」という意識じゃ。
「神様の願いを実現していきたい」という思いが強くある状態じゃ。
なおかつ、何度も言っておるが自他一体の自覚がもうゆるぎないものになっておる状態じゃのう。
他の人のことが自分のことのように感じて、困っている人、悩んでいる人がいたら、もう放ってはおけないという状態じゃ。
地上の人間は、「お金持ちになりたい」とか「いい家に住みたい」とか「いい車に乗りたい」なんて思うておるかもしれんが、それらはすべて自分というものの為に自分のエネルギーを向けておるということじゃろう。
しかし、無我というのは、自分の為っていうのを通り越してじゃ。
「神様の為になりたい」とか「誰々の為になりたい」っていうのう。
自分以外のものの為に、自分のエネルギーを向けておる状態なんじゃ。
 
通りすがりの地球人
ちょっと抽象的な話に聞こえるのですが、実際には、どんなことして生活しているんでしょうか?
もうちょっと具体的な話を聞かせてもらえますか?
 
ピピン
そうじゃのう。
六次元の生活は、専門的なスペシャリストとしての生活じゃと話したが、ここでは、それを通り越して、ゼネラリスト的な生活を送ることなる。
実際には、神の手足としての実践部隊としての生活ということができるじゃろうか。
神への奉仕活動をしている状態じゃのう。
そして、その奉仕活動の中心は、対機説法ということになる。
根本的な法というものを伝えるには、全ての者がそう簡単に理解できるものではないだろうから、もっと噛み砕いた形でもって伝えていくにはどうすればよいかということを日夜、試行錯誤しておる。
あるものは、地獄救済の実践部隊として指揮をとったりしておるのう。
六次元の者たちと一緒に地獄に赴いて、指揮官として救済をするという仕事をしておるものもいる。
六次元が一兵卒なら、七次元は部隊の隊長として、八次元の「少将」とか「中将」とかの将校の下、地獄に赴くということじゃのう。
そして、あるものは、六次元に赴いて人を指導しておるのう。
人を指導する際は、七次元の者は六次元の者を指導し、六次元のものが五次元の者を指導するというようにじゃ。
まぁ、上とか下とかいう表現は、わしは好きではないんじゃが、一つ下の次元のものを指導するというのが基本じゃのう。
七次元のものが直接、五次元のものを指導するなんてしようと思って、五次元に行ったりしたらじゃ。
五次元の者には、もう眩し過ぎて姿が見えんということになって、話どころではなくなってしまって、話をしようにも話ができんのじゃ。
そしてまた、あるものは地上に降りた七次元の菩薩を指導したりしておる。
三次元世界を神の国に近づけようと地上に生まれてくるという実働部隊がこの七次元の者たちなんじゃが、その地上に降りた七次元の者達をあの世から見守り指導するという生活をしておるんじゃ。
 
通りすがりの地球人
へぇ~。
そういう生活をしてるんですかぁ。
私の本質部分にその光神体っていう状態があるっていうことなんですよね?
でも、そんな風に自分がなれるとはとても思えないんですが・・・・・。
 
ピピン
無理してなろうとする必要はないんじゃよ。
この七次元におる者達は、無理して生活しておるんじゃないんじゃ。
皆、そうしたくて仕方がないという気持ちでもって生活しておるだけなんじゃ。
それは、自然に自分の内から沸いてくる衝動をそのまま行動に移しておるということなんじゃ。
じゃから、無理して神への奉仕活動をせねばって思っても、この世界の住人にはなれんのじゃ。
 
通りすがりの地球人
じゃぁ、私では無理ということですか?
  
ピピン
いやそうではない。
今の自分が内から自然に神への奉仕をしたいという衝動が出てこないからというて、無理だということではないんじゃ。
彼らも地上に生まれて生活すると、今のお主のように神への奉仕の気持ちなってなかなか生まれて来ぬものなんじゃ。
 
通りすがりの地球人
では、どうしろと?
 
ピピン
まぁ、焦るな。
彼らに共通するのは、自らが神の生命(いのち)であるということを悟っておるということと、自他一体を悟っておるということと、神への絶対的信頼というものがあるということなんじゃ。
言い換えると、自分への信頼と他人への信頼、そして神への信頼というたらええじゃろうかのう。
この3つを深く自覚するとき、魂は打ち震え、自然と喜びに満たされて、どうしても神の手足として行きたくてしようがなくなってしまうんじゃ。
 
ではいかにしてその3つを深く自覚するかじゃが、それは人それぞれの方法があるといえるじゃろうが、一つの方法として、神の子であるという自分の本質を自覚して行くという方法がある。
それは、昨日今日話しておるような内容をよく理解して、自分の本質はこんな素晴らしいものなんだと何度も何度も繰り返し思い起こすことで近づいていくんじゃ。
わしの話を聞いておる時、お主は、「これが自分の本質!!」ってびっくりしながら聞いておったが、「これが自分の本質部分なのかぁ」って心の中で認めたお主の顔には希望があった。喜びがあった。
そう、その喜びをもっと深く深く味わっていくことが大切じゃ。
それが、この七次元世界の住人に戻っていくための鍵となるじゃろう。
今、戻っていくと言うたが、お主のその生命の中に、神の本質が宿っておるんじゃ。
それは、この光神体の部分がお主の中にもう既にあるということなんじゃ。
その事実を受け入れ、「そうだ。私の中には、神の命があるんだ。」「これが本当の自分の姿なんだ。」と思っていくとき、お主は、自然と神の手足として生きたくなっておる自分に気がつくことじゃろう。
 
通りすがりの地球人
そうか。
受け入れることなんですね。
分かりました。
もっと受け入れるようにしてみます。
なんか、ほっとしましたよ。
 

光子体

ピピン
さて、昨日は霊体について話したが、今日は光子体についてじゃ。
光の子の体と書くが、霊体と比べると更に精妙なものになってくるんじゃ。
これは、主に六次元神界の存在形態となっておってのう。
もう、ここまで来るとほんに眩しいのう。
水晶の山のなかにおるような輝きじゃ。
あるいはダイアモンドを散りばめたかのような神々しい体となっておるんじゃのう。
一人一人顔をみると、もう高貴な雰囲気が漂っておる。
大理石で出来た建物のなかにおるような雰囲気といっても良いかのう。
それが、霊体を脱いだ光子体の姿じゃ。
 
通りすがりの地球人
それが人間の本当の姿だということなんですか?
 
ピピン
いやいや、これでもまだまだじゃよ。
まだそれでも袋を被っておるということじゃからのう。
もっと眩しい存在が人間の本当の姿じゃし、お主の本当の姿じゃのう。
 
通りすがりの地球人
なんか、聞けば聞くほど、ビックリしますし、「ええ!!本当に!!」ってなってしまいますねぇ。
そんな自覚、全然ないですよ。
 
ピピン
まぁ、今は肉体の皮袋を被っておるからのう。
仕方ないといえば、仕方ない。
しかしじゃ。
それを肉体の皮袋を被ったままで、その本当の人間の姿を自覚して生きることが、お主が生まれてきた目的でもあるんじゃ。
じゃから、それが本当の自分の姿であるという自覚を深めていくことが大切じゃよ。
 
さて話を戻すが、この光子体にまでなってくると、かなり自由自在に近づいてくる。
念い即行動というのが板についてくるんじゃのう。
霊体で生活していたときなんぞは、「あっ!!こんなことができるんだ!!」なんて、驚いて生活していたもんじゃが、ここまでくると「そんなこと。当たり前です。」なんてところまで自覚が進んでくるんじゃ。
そして、五次元や四次元に遊びに行ったりすることもできるようになる。
四次元、五次元での生活では、そこの村にずうっと定住しておるようなもんで、他の次元に行ったりせんもんじゃが、六次元の生活になってくると、四次元や五次元に行って、霊界について更に学びを深めていくんじゃ。
 
通りすがりの地球人
そう言えば、霊界には仕事ってないんですか?
 
ピピン
お主達がいうような、食べていく為の労働のような仕事なんてもんはない。
しかし、何らかの仕事は確かにある。
なんもせんかったら、暇でしょうがないじゃろう(笑)
ある者は死んで直ぐの者達を諭すために出かけていったりしておるのう。
四次元、五次元の者達では、死んで直ぐのものを諭すにはちと荷が重過ぎるからのう。
ある者は地獄界に救済にでかけておるのう。
救済にいくといっても一人で行くことはない。
大体、七次元、八次元の者達の指揮の下、地獄へ救済に行ったりするんじゃ。
まぁ、いわば、霊界の軍人のような感じじゃのう。
地上に兵役というものがあったりするようじゃが、皆、嫌々行ったりしておるかもしれんが、それとはちと違うておってのう。
みんな、愛の思いで満たされて、自主的に七次元の指揮官の下に一兵卒として赴いておる。
また、ある者は地上の人間を指導しておる。
指導霊というのを聞いたことはあるかのう?
 
通りすがりの地球人
ありはしますが、守護霊とどう違うのかが、よく分かってないですねぇ。
 
ピピン
守護霊は、自分の魂の兄弟ということは、以前にも言うたが、指導霊というのは、地上の人間がなんらかの使命をもって活動する時に、指導する者だということができる。
例えば、芸術家なんてやってると、守護霊以外に、芸術活動をする上でなんらかの指導を行ったりするんじゃ。
じゃが、芸術活動をするとき以外は、基本的について見守ったりするということはあまりない。
まぁ、そういうのが指導霊というものじゃのう。
 
通りすがりの地球人
なるほど。
 
ピピン
それでじゃ。
この六次元の者たちは、学問、芸術、政治、経済、科学なんかの専門分野に関して、地上のもの達を指導しておる。
要するに、スペシャリストっていうやつじゃのう。
まぁ、こういうような生活をしておるのが光子体での生活じゃのう。
共通しておるのは、自分の専門分野でもって、人を教え導くということを中心に学びながら生活しておるということじゃな。
 
通りすがりの地球人
なんかビジネスマンっちっくというか、実社会での生活のような感じですね。
 
ピピン
まぁ、そうかもしれんのう。
ちと、余談なんじゃが、この六次元には科学者だけが集まった科学者村なんていうのもあるんじゃ。
そこは結構、面白いぞ。
色々な科学的研究が行われておって、地上で誰かが発明する前に、実は既にこの科学者村でもって発明されおるんじゃ。
じゃから、この科学者村で発明されたものを地上にインスピレーションとして降ろして、地上のものに発明をさせるということを行っておるんじゃ。
霊界と地上の交信機を作ろうとしておる者もおるのう。
新しい燃料を研究しておるものもおるのう。
まぁ、みんな、ひょうきんで無邪気じゃ。
「Dr.スランプ アラレちゃん」って漫画があったが、則巻千兵衛、見たいな科学者がいっぱいじゃ。
別に顔が大きいっていういみじゃないぞ(笑)
ひょうきんで無邪気っていう意味じゃ。
おっ!!
そうじゃ!!
そういえば、面白いものがあったぞ!
 
通りすがりの地球人
何ですか?
 
ピピン
人間を光明化する機械があったんじゃ。
その機械に向かって否定的な言葉を吐くと肯定的な言葉に置き換わって帰ってくるというものじゃ。
これは面白いぞ。
 
通りすがりの地球人
例えば?
 
ピピン
例えばのう。
「私は、八方美人で困っています」なんていうとじゃ。
「八方に気が向くなんて凄いですねぇ!」なんて帰ってくる。
他には、「私は優柔不断です。」なんていうと、「あなたはものの価値がよく分かった優しい人なのです。だから、両方の価値を知っているから、なかなか、どちらかを捨てるなんてできないでいるのです。」なんて帰ってくる。
あれ、地上に持っていきたいのう。
お主に使わせたいもんじゃ(笑)
 
通りすがりの地球人
そんなに、私って否定的ですか?
 
ピピン
どちらかというと、否定的じゃのう。
じゃが、否定的なのは、なにもお主だけではない。
今の地上に生活しておると、どうしても否定的な方向に行ってしまうから仕方ないんじゃ。
みんな、平気な顔をしておるが、実際は否定的な考えをもっておるものが多いのが今の地球の人々の姿じゃ。
じゃが、自分の本当の姿に気づけば、もっと肯定的になるもんじゃ。
じゃから、お主も現実の自分がどうであれ、その本来の姿においては、もうピカピカで眩しいものなんだという自覚を深めて欲しいものじゃ。
 

霊体

ピピン
さて、昨日は幽体について話したが、今日は霊体についてじゃ。
昨日、ちらっと言ったが、進化して四次元から五次元に上がっていくと幽体を脱ぎ捨てていくことになるんじゃ。
人間は幽体を脱ぐとどうなるかというと、今度は霊体という外袋が現われてくるんじゃ。
この霊体としての生活は、五次元世界での生活となっておる。
霊体ともなると体から光がこぼれ出てくるような感じじゃのう。
もう、だんだん外袋が薄くなってきた感じじゃ。
皆、光り輝いてくる。
お主も、どんなに悩んで真っ黒になっておろうとも、霊体になれば一人前にピカピカじゃぞ。
 
通りすがりの地球人
私もピカピカになるってことですか?
 
ピピン
そうじゃ。
お主もピカピカじゃ。
例外なんぞおらんぞ。
皆、肉体を脱ぎ、幽体を脱げば、もうピカピカ光っておるんじゃ。
そして、心は常に晴れ渡ったような気分じゃのう。
もうルンルン気分じゃ。
 
通りすがりの地球人
へぇ~。
なんかワクワクしますねぇ。
 
ピピン
そうじゃろう。
この霊体の生活なんじゃが、例えるとスーツの上着を脱いでワイシャツ姿になって肩が軽くなったようなもんかのう。
ここまで来ると、幽体をまとった生活と比べると体が軽くなったような生活じゃ。
肩も撫肩(なでがた)になって、凝りもなくなるというもんじゃ。
 
通りすがりの地球人
撫肩って、肩凝らないんですか?
 
ピピン
そりゃ知らん(笑)
ちょっとした言葉のあやちゅうもんじゃ。
 
通りすがりの地球人
宇宙人のくせに言葉のあやって・・・・・。
 
ピピン
失敬な!!
宇宙人をバカにするな!
 
通りすがりの地球人
まぁ、まぁ。
謝りますから、そうむきにならないで下さいよ。
 
ピピン
よしよし。
分かれば宜しい(笑)
 
でじゃ。
霊体での生活なんじゃが、移動するにも、アイススケートのようにスーっと滑るように軽くなってのう。
念った瞬間に移動なんていうのができだしてくるんじゃ。
瞬間移動っちゅうやつじゃのう。
おまけに空を飛ぼうと思えば、空を飛ぶことも出来てくるのが、この霊体での生活じゃ。
まぁ、あまりおらんが姿かたちすらも変えようと念えば、自由に変えれるようにもなる。
これは、霊体というのは、肉体や幽体と比べると念の作用を受け易いということなんじゃ。
 
通りすがりの地球人
ちょっときになったんですが、「~できだす」とか「~出来てくる」っていう表現を使われてますが、どういう意味なんですか?
霊体になれば、皆できることなんじゃないんですか?
 
ピピン
それはじゃ。
確かに誰もが霊体になれば、できるんじゃが、実際にできるかどうかは各人の自覚にかかっておるということじゃ。
自分が「こんなことできる」と自覚して行けばできるが、「できない」と念えばできないんじゃ。
それが、念の世界ということじゃ。
自覚が進めばできるようになり、自覚が進まなければ出来ないままということなんじゃ。
 
通りすがりの地球人
では、自覚というのがキーな訳ですね。
 
ピピン
そういうことじゃ。
どれだけ霊としての自覚ができるかということが、自己のあり方を決めると言うても過言ではない。
つまり、どれだけ「自分は霊的存在でありなんでもできる存在なんだ」と実感しておるかということじゃな。
あと、念についてなんじゃが、念というても、五次元世界だけのものではなくて、三次元、四次元や、五次元以降の世界も念の世界なんじゃ。
ただ、この念というものが具象化し易いかどうか、その影響という意味において、次元を下るに従って影響し難くなり、次元を上って行くに従って影響し易くなるということなんじゃ。
じゃから、霊体になってくると段々、念の影響を受け易くなってくるということじゃのう。
それは、段々、霊の本来の姿、融通無碍(ゆうずうむげ)な姿に近づいてきた姿ということになるんじゃ。
 
通りすがりの地球人
へぇ~。
分かったような気はするんですが、ただ、ちょっとどんな感じなのか想像がし難いですねぇ・・・・・。
 
ピピン
そう小難しく考えることはないぞ。
実際の霊体の生活は、まぁ、三次元の生活とそれ程変わりはないかもしれんのう。
そうじゃのう。
都会を離れた山や海なんかで牧歌的な生活をしているような感じかのう。
そうそう。
とこなつの島で、リゾート生活をしているような感じというてもええかも知れんのう。
服なんかも自分で好きなものをイメージしたら着ることができるんじゃぞ。
女性なんか、結構、色々な服を着ておるぞ。
どこかで買ったのかというと、そうではなくて自分でイメージして着ておったりする。
わしなんかじゃと、アロハシャツなんかを着てみたり、パパイアジュース飲んだりのう。
もう、楽園生活じゃ。
 
通りすがりの地球人
私、服のイメージする自信ないですねぇ~。
 
ピピン
まぁ、イメージできなくてもいいんじゃぞ。
服屋さんをしている人もおるから、そこへ行って気に入ったものをこれ下さいって貰ってくればいいんじゃ。
お金なんてものはないから、貰う際に代わりに「ありがとう」っていう感謝の気持ちを置いてくるだけじゃ。
 
通りすがりの地球人
へぇ~。
楽しそうですね。
 
ピピン
そうじゃろう。
結構、楽しいぞ。
実際には地球人の多くがこの世界を中心にして、生まれ変りをしておるんじゃ。
つまりは、多くのものは、楽園の住人ということなんじゃ。
肉体に宿っておる間は、自分のもといた場所も忘れて、いろいろと悩んだり苦しんだりしておるが、死んで元の霊体生活に戻れば楽園生活を満喫できるんじゃ。
まぁ、これが霊体ということじゃ。
 

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