地球人に向けて
このブログは、オリオン星人であるピピンの視点から 地球人へのメッセージをお伝えします。

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人類救済の心

通りすがりの地球人
お久しぶりですね。
ピピンさん。
 
ピピン
久しぶりじゃのう。
最近、どうじゃ?
少しは心の平安を味わえるようになったかのう?
 
通りすがりの地球人
まぁまぁですかねぇ。
それより、最近、こうやって教えて貰ってることを人類全体に知らせなきゃって使命感に燃えてきましたよ。
 
ピピン
ほう。
なるほどのう。
それは良い心がけじゃ。
と言いたいが、そんなことを考える必要はないとわしは思うぞ。
 
通りすがりの地球人
えぇぇ!?
どうしてですか?
人を救いたいって気持ちを持っちゃいけないってことですか?
 
ピピン
人を救うとか救わないとかそんな問題ではないんじゃ。
確かにその「人を救いたい」って気持ちは尊い心がけであるかのように見える。
しかし、その思いの根底には、「自分は偉いから、人を救ってやるんだ」なんて気持ちがあるようにわしには感じる。
もし、そうではなくて純粋な気持ちから出ているということもあるじゃろう。
しかし、そうであってもじゃ。
人間とは大宇宙に遍満(へんまん)しておる神の生命そのものであるというのが真実なんじゃ。
神の生命の現われが我らであるということなんじゃぞ。
それゆえ、既に我らは救うべき存在ではないし、救われるべき存在でもない。
じゃから、わざわざ救うなんてことも必要ないんじゃ。
お主が相手を救おうとするということは、その相手の人は救われておらんと見ておるということなんじゃ。
それは失礼なことであるとわしは思うぞ。
 
色々な新興宗教というものが地上にあるが、彼らがよく口にするのは「私は真理を知りました。だから、迷った人々を救う為にこの宗教にお導きします。」というようなことじゃ。
そのような考え方をしておると段々に心が人の闇の部分に向くことになってしまってのう。
この前話した「戦争反対!」ってデモする人たちと同じになってしまうんじゃ。
自ら人の欠点や闇に心を向けて、闇「あり」と見て、闇が本当にあるかの如く振舞ったりしている内にじゃ。
その自らの心によって闇と見える勢力を援助していることになるんじゃ。
 
通りすがりの地球人
では、何もするな、放っておけってことですか?
 
ピピン
そういうことでもないんじゃ。
人を救う救わないと言う暇があったならば、「人間は神の生命の現われであり、自分は人間であるから神の生命そのものである。他人と見えしも神の生命であり自分も他人もない」というおもいをもつことが大切なんじゃ。
「他人と見えし存在の中に神の生命あり」と観ていくことが彼らを本来の姿に戻していくこととなるんじゃ。
これを光明思念というたりするんじゃ。
 
通りすがりの地球人
なんかややこしですねぇ。
 
ピピン
そうかもしれんが、原理は先日「戦争と平和」という話をしたが、あれと同じじゃ。
「戦争をなくしたければ、心を調和に向けよ」というたが、これも同じじゃ。
「人を救いたくば、その人を神の子であり完全であると観よ」ということじゃ。
今、お主の前にお主が救わんとする人がおったとしてじゃ。
その相手が神の子であると観ることができたならば、「あぁ救わなくても救われている」ってなってのう。
「救う」なんて言葉が出てこなくなる。
そういうことじゃ。
 
通りすがりの地球人
それって、屁理屈(へりくつ)のような気がしますが・・・
 
ピピン
もう一度言うが、「ある」と強く思うものがあるように姿を見せてくるというのが法則なんじゃ。
他の人に欠点あり、闇ありと観れば、他の人の欠点が姿を見せ、闇があるように現われて来るが、他の人に神の命ありと観れば、神の命がその姿を現すことになるということじゃ。
難しいかのう?
 
通りすがりの地球人
ええ、私にはなかなか難しい話です(苦笑)
 
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